東京下町生まれ

今日的な下町のイメージは、本来の下町においては繊維問屋街の多い街区や月島・人形町・浅草・入谷・門前仲町などの門前町や古風な街並みの残る地域、その外側においても中小の工場や商店の多い地域(時に荒川・江戸川・中川などの河川敷に近い地域や、柴又などの門前町のイメージも強い)によってイメージされることが多い。

また、テレビ・映画などに取り上げられるこれらの地域のイメージの影響で、「現代の東京に江戸情緒や人情を残す町」というイメージも強い。

難波こと大阪に帰省

近畿地方に属する日本の都道府県の一つ。府庁の所在地は大阪市。かつての河内国、和泉国、摂津国東半分と丹波国の一部からなる。近畿地方の行政・経済・文化・交通の中心にして、日本第2の都市でありアジア屈指の世界都市。


県内総生産は東京都に次いで全国第2位。 古代日本の中心地であり、継体天皇が即位した樟葉宮、仁徳天皇の難波高津宮、大化の改新に際し孝徳天皇の難波長柄豊碕宮(前期難波宮)、奈良時代に聖武天皇の難波京(後期難波宮)が造営された。

また、長岡京遷都まで一貫して陪都(副都)としても使用された。 古くは「浪速(なみはや)」、「難波(なにわ)」、中世には「小坂(おさか)(おざか)」、「大坂(おさか)(おざか)」と変遷し、明治に至って「大阪(おおさか)」と改められた。「坂」は台地の坂に付けられた名前に由来すると言われている。

北海道ふるさとジンギスカン

調理には専用の鍋として、鉄の浅い帽子のような形をした鋳物製のジンギスカン鍋を用いる。
ジンギスカン鍋の形は時代によって変化した。この種の鍋が現れた昭和初期の時点では、ストーブのロストル(火皿)のように平行の溝が設けられていた。取っ手は無かったため、すき焼き鍋の鍋掴みに似た器具、若しくは鍋面にある専用の穴に栓抜き型の取っ手を差し込んで鍋を動かした。


戦前のジンギスカン料理店「成吉思荘」の初期の鍋は特に大型だった。移動させるときは氷屋の氷を運ぶ大きなやっとこのような専用の運搬具を使い、鉄製焜炉ごと運んだ。重すぎて女性の腕力では容易に運べず、運搬専門の男子を雇っていた。



戦後、鍋の頂上から周辺に向かって星形に溝が作られ、取っ手が両脇に付いた。さらに室内用やガス焜炉用には、なるべく煙が出ないように、肉から出る脂や肉汁を火の中に落とす隙間がない単に凹凸がついただけの鍋も出現した。また、その周囲にドーナツ状になっている平坦な部分(汁溜り)に野菜を乗せることによって、焼く段階で、肉汁や脂肪分、調理法によっては肉から染み出したタレも野菜に染み込ませる調理法が定着してきた。
遠野市では、屋外でジンギスカンを調理する際、金属製のバケツに通風孔を開けたものを七輪代わりに使用することが多い。このバケツはジンギスカンバケツと呼ばれる。七輪と比べ、軽くて持ち運びが容易であり、ジンギスカン鍋の座りも良い。

東京都でもふるさと

東京都は一般に、「区部」(東京23区、旧東京市)、「多摩地域」、「島嶼部」(伊豆諸島・小笠原諸島)の3地域に分けられることが多い。
区部では、皇居を基準として、「城北」、「城東」、「城南」、「城西」という呼び方をすることがある。区部の西側は武蔵野台地の末端部であることから「山の手」とも呼ばれる。区部の中心部には都市機能が集積しており「都心」と呼ばれる。「都心」の範囲は、統一された定義はないが、最も狭い意味では千代田区、中央区、港区の「都心3区」を指すことが多く、広い意味では区部全体が「都心」と呼ばれることもある。東京都庁では各種の都市計画において副都心を策定しており、今日では新宿副都心、池袋副都心、渋谷副都心、上野・浅草副都心、錦糸町・亀戸副都心、大崎・品川副都心、東京臨海副都心の7箇所を「副都心」と呼ぶことがある。



多摩地域は、東多摩郡以外の南多摩郡、北多摩郡、西多摩郡からなる地域であると言う意味から「三多摩」とも呼ばれる。多摩地域はさらに「市部」と「西多摩郡」に区分されることもある。「都内」「東京都内」と言うと、多摩地域と島嶼部も含めて全域を指すが、区部のみを「都内」と呼んで、多摩地域を「都下」と呼ぶこともある。これは、「県内」と「県下」が同義であることを考えるとおかしな表現であるが、かつて「東京市内」「東京府下」とされた呼称が、都制施行時に「東京都内」「東京都下」に呼び変えられたことで起こった慣習的な表現だと言われている。「都下」という呼び方は、「都下スポーツ大会」のように公的にも使われていたこともあるが、見下しているともみなせる表現であるため現在では使われることは少ない。